忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

群青の蜘蛛

創作 夜は短し


 十五日の夜、ワゴンの中にはいまだ愛情の残滓が詰め込まれている。二十四時間営業の四角い空間でも手ばやく買える愛でなにが伝わるのだか、たぶん誰にもわからないのだ。みんな特別が好きだ、だからここの愛は持て余される、学生にはすこし背伸びが必要な千円を超える愛情までもここには揃っているというのに。わたしは青いリボンの引いてある薄ぺらの箱を手に取る。千五百円したものが、半額。袋はいらないと言ったら、ありがとうございます、だなんてふしぎだ。
 父親は静脈のような男だった。家じゅうにその存在は蔓延していた。九時を過ぎてる、パパより遅く帰るなんてどこへ行っていた、と男は尋ねた。会えると思ったのにすれちがっちゃったね、とはぐらかしてわたしは笑った。剥き出しの静脈に編まれた箱を手渡す。男は受け取らず、にこりともしなかった。
「なんだこれは」
「バレンタインデー」
「それは昨日だ」
「じゃあ気まぐれよ、パパ」
 気まぐれ、を一瞥してわたしの手に預けたまま、食事のあとふたりで食べよう、と言って男は背を向けた。わたしが食事を作っておいた。わたしがあのシャツにアイロンをかけた。この男の持つ空気を吸ってわたしは育ってきた、男の妻の顔は忘れた。この男はわたしとふたりきりで食事をするし、ふたりきりしか存在しないこの家でねむるのだ。それでどうして、静かな支配の網が張り巡らされないことがあろう。男の支配はおそろしくしつこくて、繊細だ。しかしそこには個性がない。ありふれたかたち。たとえばコンビニエンスストアに売れ残るチョコレートの箱のように、だれもが飽き飽きした、偏在する愛のかたちだ。清廉な人間など今更だれが求めるのだろう。
 男のあらゆる行為がわたしを軽蔑させる。正しすぎるほど正しい箸の持ちかた、口の開きかた、咀嚼のしかた、細かく砕かれたものが胃に落ちていくようすも、拡大鏡で覗くようによく見えることがある。この行為の連続でわたしという存在が決定されてきたのは屈辱的だったが、同時にそれに気づいているわたしと、無知な男とのあいだに奇妙な陶酔のゆらぎが見えてくるのだった。
 わたしはテーブルの右手に置かれたチョコレートの箱をちらと見た。このなかには六粒の時間が秘められている。この男はわたしと等しくそれを分け合うのだろう。純粋だから。わたしが知りえない女をかつてこの男は愛していて、そのままの姿で年をとってしまった。何も学ばないのだ。馬鹿丁寧に、夜のとばりのように薄く広げた愛を、まんべんなくわたしの体に掛けてゆくことしか知らない。
 遅い夕食のあと日付の変わるまえにさっさと寝室へ向かう男は、みずからの夜をそうやって縮めている。だいじょうぶよ、パパ。あなたは夜が怖いのね、だけどいいの、それは生きものがだれしも思うことなのよ。ねむりはそれを忘れるための手段、こころを守るために残された無防備なすべなのだもの。あなたは窓辺から眺める光だけを愛している、太陽がどれほどの汚辱を曝すかなど知る勇気もなく。
 案の定、父はわたしに三粒のチョコレートをくれた。あなたの夜は三時間、わたしの夜も、三時間だ。やがて夜があけるころ、この静脈の城は崩れ、燃えるごみの日にはあなたがひとり、たたずんでいる。陽の光はあなたの本質をあばいてしまう、その穢らわしさに耐えられなくても、あなたはいずれそうなるべきだったのだ。わたしはパパがこの世界にただひとりきりだということを知っている、敬虔な少女だった。わたしの初潮はあまりに遅すぎた。



テーマ「買い物・チョコレート・夜は短し」

拍手