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水晶窟

創作 死は救い


 とおい親戚のお葬式というのは、いつだって憂鬱に満ち満ちている。青ざめた制服を喪服がわりにしていると、日常が蝕まれていく気がする。親戚のおじさんおばさんは悪い人ではないけれど、いつも同意の陰に潜む正論で私を追いつめた。今までのこと、今のこと、これからのことを問いただしてどうするのだろう。うそをついても、矢印の向きは変わらずに、苦しいことばだけが刺さる。大学はどうするの。わたしはへらへら笑っている。地元の私立にするつもりです。ほんとうは東京の、大きなところに行こうと思っていたのに誤魔化した。お金をかけて遠くへ行くことを、みんなは良しとしない。そう、国立じゃないんだ。あ、あ、あ。失敗した。やってしまった。心うらはら、わたしはへらへら笑っている。こんなふうにして、どうして、死んだ人のまえで、未来のお話をしたり笑ったりしなくちゃならないのか分からない。分からないけど、そうするものだと教わったから、そうする。ごちそうが出るのもふしぎだ。くちなしの死人を惜しんで、生きているわたしたちがごはんを食べる。大きな寒天の、目の醒めるような透きとおった翠色が、生きている感じがしなくって、そればっかりが穏やかだった。
 このまえ親戚のおじさんたちに会ったのは、夏祭りがあったころだ。式のときにはなにも言われなかった。忘れてしまったのか、だまっていたのかは知らないけれど、そのときおじさんに連れられて、わたしは一匹だけ、金魚を掬ったのだった。ふくらんだ透明なビニールのなかで、いちばん真っ赤だと思ったおさかなに、じっと見つめられていたのを憶えている。家に帰って、お風呂の洗面器をひとつ拝借して、しずかに放してやった。びくびくしたあと、しばらく動かなくて、母に訊いたら、新しいところに慣れるまでじっとするのよ、と言った。そのとおり、次の朝には滑るように泳いでいて、浅めの洗面器から覗きこんだときに見える、水を分ける全身がとてもうつくしいと思った。
 けれども、おさかなは名前をつけるまえに死んでしまった。慣れたのではなかったのか。水の生きものに対して、わたしたちは死んでからようやく触れたりする。触れあわないものに、かなしみは湧かなかった。ただ、わたしが選ばなければもうすこし長く生きたのだろうかと、申し訳ない気持ちになった。飼われるおさかなのいのちは、この世でいちばん短いいのちだ。どうしたらいいか分からなくて、庭の、ハムスターのお墓のとなりへ埋めた。このおさかなは、慣れたふりをしていたのだと、あとでなんとなく思った。
 知らない人の大きなお屋敷で、窓の外をながめていた。お葬式の日は雨が降るというけど、ばかみたいに晴れていた。白木の窓枠が黴びて黒ずんでいて、湿っぽいにおいを鼻孔に残してゆく。わたしはすこしばかりほっとした。だって、なにもかもが乾いていた。みんなの目も、わたしの笑顔も、摘んだ焼け残りのお骨も、あのとき初めて触ったおさかなのからだも、みんな貼りつきそうに乾いていたのだ。メメント・モリ、メメント・モリ、メメント……、みんな自分のことで精いっぱいのはずなのに、どうして誰かの死を記憶する余裕なんかあるのだろう。慣れたふりをしているのだ。ある日突然耐えられなくなって、記憶が風船みたいに弾けて、なんにもなくなるときがくる。慣れたふりに慣れすぎて、みんな自分が耐えられないなんてことが分からなくなってしまった。わたしには見えている。ぶよぶよした寒天の翠のむこうや、金魚の静止したビニールのむこうや、黴くさい白木の窓枠のむこうにも。他人の死を記憶しようとして、みんなだいじな気持ちを捨てていく。捨てられないわたしには、みんなには見えなくなったすべてが見えていた。
 窓のそとで、みんながおなかを向けて空へのぼってゆく。半分溶けたみたいな、おさかなのからだ。生きているうちだれにも触られない、傷つかないからだ。わたしも飼われるおさかなになりたかった。わたしのために、かなしむ必要なんてない。短くても、そんなふうに生きられたらよかった。空へのぼる人たちは、どの人も睡っているみたいに何もない顔をしている。みんなおんなじだ、みんながこんな思いをしていたって分かるなら、やさしくなれる気がした。くちなしは、おなかがいっぱいだから、こんなふうに仰向いて空へのぼってゆくのだね。無理して食べすぎてしまったからだを、すこし休ませなくちゃなんないのだね。青空だった外がすみれ色に霞んで、わたしの紺色の制服をそっとかなしみに湿らせていった。ああまた、わたしのからだに染みてゆく。この日が終わっても、どこにいても何をしていてもあこがれは止まないのだろう。わたしには見えている。ずっと離れず、見えている。

【文章版ワンドロ お題は『死は救い』でした】

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