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いなずま
吹雪と豪炎寺


 南向きの窓は与えられる恩恵をひとつも逃そうとしなかった。ベランダと、窓枠の影とがそのまま部屋を彩っている。ぼくはこうして床に寝て、いちばん下から切り取られた空を見上げるのが好きだ。雨の日は雨の、あじさい色をしているけれども、今日はわざとらしいほど青い空から真っ白い光線が降り注いでくる。硝子をすり抜ける雪のようだと思う。前のぼくなら怖がってできなかったことが、こんなに好きになれるんだ。部屋のドアを開けて、だらしなく寝ころんだぼくを見るなりちょっと眉をひそめたまじめな豪炎寺くんが、すぐにいつもの大人びた表情をして「眩しくないか」と問いかけた。
「眩しいけど、だいじょうぶ」
「カーテンは?」
「このままでいいんだ」
 固い床で寝返りを打って、豪炎寺くんのほうを見てすこし笑った。彼はぼくの矛盾に珍しくきょとんとしていた。矛盾。こんなにも光が白く不透明な日は、逆光という現象が起こることをぼくは知っている。ぼくが今かすかに微笑んだの、きみには見えていないんだろうな。
 記憶というのもそうやって、逆光のように薄れていく。あのとき大事にしようと誓ったすべての思い出も、人間というのはとても不便で、ひとつずつ押し出されては焚かれすぎたフラッシュになってまぶたの裏に消えゆく。たとえば、家族旅行で水族館に行ったことだ。事実の輪郭は紛れもなくはっきりしているんだけれども、その細かなことはなにも思い出せない。カメラをすっぽり覆った父さんの大きな手、照明の加減でたゆたう母さんのやわらかな髪の色、アツヤの遥かなものを見るときのすっとした笑顔、青や緑やむらさきに輝いたさかなたちが、ことばで表せても、イメージはいつのまにか半紙にとんだ墨みたいに白と黒のコントラストになってかき消されてしまった。豪炎寺くんはどうだろう、おかあさまのこと、どれくらい憶えているのだろうか。不幸を共有したい意地悪なこころがぼくにはある。憶えていたらしあわせだな、と思う反面、彼もぼくと同じく、もう忘れてしまっていればいいとも思っている。光のそばには必ず影ができるということも、よく知っている。
 さて、ぼくのほうからは、豪炎寺くんのすがたはぼんやりとやわらいで映っていた。彼は死んだように動かないぼくを見かねたのか、裸足で床を踏んづけて歩いて、何も見えないだろう真っ白な光のなかへ、つまりぼくのほうへ勇敢にも向かってきた。
 ほんとうに、数歩の距離もないのだが、彼がゆっくりと一歩踏み出すごとに光をまとって、どんどんぼくたちの階調は近づいてゆく。ぼくがどんなに光をあびても彼の紛れもない強い光を超えることはできないのだろうかと、よごれているこころが、ちょうど、子どもの癇癪のようにかなしんだり、くるしんだりした。しかしもう一方では豪炎寺くんとは、とうてい手の届かない、そういうひとだと分かっていたのだった。そしてついにぼくの足元をかすめ過ぎようとしたときに急におそろしくなって息を飲む。しかし、そこで豪炎寺くんはふと立ちどまって、ちらっとこちらを見下ろすようにした。
「ほんとうに、いいのか」
 カーテンのことを言っているのだ。ぼくよりも光のなかへ入っていこうとする、それがいやで、心臓がどきどきしていてすぐ声がでなかった。ありあまるほど流れ込んだその光線がぼくにとっていかなる意味を持つのか、豪炎寺くんにはきっと、完璧に悟ることはできない。巻かれたカーテンのなかにぼくが何をしまいこんだかも。それは思い出だ。ずっとまえから抱えていた忘れたくないものをカーテンと一緒に巻き込んで、逆光や影の脅威から隠したのだ。お節介の手を止めたのは、ぎゅうぎゅうに詰めこんで溢れそうなそれらの欠片を不思議に思ったからかもしれなかった。
「うん、結んだままでね……みんなだめになってしまうから」
 目を見て言ったそのことばは窓硝子のように透明で、いつでも開け放たれる準備ができていたはずだ。豪炎寺くんがなにも聞かずに窓のほうへ伸ばしていた指を引っ込めたとき、ぼくはまた微笑んだ。今度は豪炎寺くんも、あきれたふうな顔をしながら一緒に笑ってくれる。ふたりの表情はおなじ階調のなかでは対等になってよく見えた。幸福と不幸とをあわせ持つ白い光の雪崩がやがてぼくたちを呑み込んでも、今なら平気な気がした。

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