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嬰児のうた

三天才
藤原の卒業式


 逃げ続けていた季節がきた。みなが強風に目を伏せている隙に、いつだって無かったことにしていた。出会いと別れ。好きじゃない。なぜ別れるために出会わなければならないのか、ただ傷つけられるために手を握らねばならない意味を、分からなくなってずいぶん経っていた。いまはどうだろう、すこし分かる、かもしれない。それにしても「天才」が留年なんて、笑わせる。
 おめでとう、と声がした。なにがおめでとうなのだろう、ずっと不安だ。あれほどに闇のなかで透徹を求めながら、いざ出てきてみるとこんなものだ。保証がないことには慣れている。けれども、そう、抱えた花束の芳香に、供えられた花を思う。悲しみと喜びはいつも表裏なのだ。ふらりと立ち寄ったように、おれの姿を見にきたやつがいた。病身に無理をして、おれの姿を見にきたやつがいた。なにも変わらない、節目と言ったって、なにも変わらないのに、わざわざ。
 おれはそうだ、変わることがおそろしい。こんな筒と、巻かれた紙きれ一枚だけで、この学園から突き放されることがおそろしい。でもずっと繰り返してきた。居場所などなかった。こんなにおそろしいのはたぶん、居場所ができたからなのだろう、おめでとうが悲しいのも、そうなのだろう。おれはどうして泣くのだろう、悲しいから、そうなのだろう、か?
 きれいごと、好きじゃない。みんなに会えてよかった、とか、そういうこと……口にするのは空々しい、おれはなにも変わらない。みんなに会えて……、ああ、むかし、作り笑いでやり過ごした季節。なのに、おれはどうして泣くのだろう?
「藤原」
 なつかしい声だ、正反対のふたりが、ゴールテープの向こうにいる彼らのような顔でそこにいた。その顔がおれは、あの日、ほんとうに嫌いだった。青より青い空々しさ、嫌でたまらなかった。潰れた果実のように、不気味で、厭悪に満ちていた。
「待ってたよ、ここからが本番ってとこだね」
「いや、吹雪のことだからな、足並みが揃うかどうか」
 ふたりは笑った。おれは泣いていた。さっきからずっと泣きっぱなしで、でも彼らは当たり前のようにおれの横で軽く背を叩いた。なにも変わらない、なにも……吹雪のひと言でカメラが向けられる。こんな顔、嫌で、花束で隠す。青くささが鼻腔をかすめた。
「残そうよ、せっかくの記念なのに」
「そんなの」
「まあいいか、いつでもね、撮れるし」
 アイドルっていうのはいつだってアイドルだからね、と吹雪は片目を瞑ってみせた。ふ、とあきれたような、すこし疲れたようなため息まじりの笑みをした、丸藤。なにもかも同じと言われたら、そうでないような気もする。だって彼らは制服を着ていない、のだった。たかがそんなことで、おれはなんだか、ひどく、混乱してしまった。
「おれ、あの」
 変わらないわけがない。日々というものが虹のように、確実に、変貌している。おれは見て見ぬ振りをしていただけだ。岩戸に籠ったところでおれはただの人間だった。おれが逃げ続けているその間も太陽は昇って、落ちていった。
「こんな顔して、撮りたくないからさ」
 吹雪はえ、とか、あ、とか、そんなふうな間抜けな声を出した。それから、卒業式のときくらい、泣いたっていいと思うんだけどな、と言った。
「じゃあ、ぼくらもいっしょに泣こうか、なんてね」
 おれはふたりの、そんなところが許せなかった。かつて。それなのに、おれはそうだ、虹……朝焼けと夕焼けの似て非なるかがやき……硝子に映るひかりのように、変わっていくのだった。唇をふるわせて、涙をこぼしながら、生まれたての赤子はきっとこんなふうな気持ちなのだと思っていた。涙を拭うふりをして学園を垣間見た。あそこでも、おれの知らないあたらしいことが始まる。おれはそれがあんまり正しくて、つらかったんだよ。でも、そう、オネスト……みんなたぶんきっと、おそろしいのだ。そうだろう?
「ねえ藤原、その顔、すごくいいと思うよ」
 そうかな、と言ったら、また涙がこぼれた。唇のふるえ、声のふるえ、おれはほんのすこし微笑っていた。作り笑いでやり過ごした季節、でも、泣きながら微笑ったことなんて一度もなかったのだ。やっぱり写真撮ってほしいな、今さらそう言っても、彼らは当たり前のように肩を寄せるのだろう。そして、おれはそれを幸いに、幸いに思うのだろう。

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