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互いの庭

亮と藤原

 病室の花は瑞々しかった。神経の細やかさを感じながら、藤原は奥底に澱んでいる不安を揺らしている。丸藤亮の見舞に訪れて、がたつく小さな椅子を勧められるがままに拝借しながら、同じように不安定になっている。このような場に来るたびに彼は忘却について考えざるを得ない。死の姉妹……時があたえるもうひとつの確実であり、じれったいほど掴めないくせに、ある日突然覆いかぶさるもの。そして藤原が闇を脱してもなお、恐れるたびに手を伸ばしてしまうもの。

 かつて、あらゆる羨望は海中の光が目を眩ませるように藤原を追った。彼はそのたび思うのだった。
「まだ終着していない、おれは死よりも深いものを得なければならない、無関心という究極の忘却を……そうしたら、あらゆる過程の中にある小さな結果に怯えることはないのだから」
 墓標より深い場所。ちょうど低次元に生きるように、そこにいさえすれば、失くしたものを知覚しなくて済むと思っていた。何もかも捨てて、捨てたことさえ忘れ、単一に存在していられるはずだった。

 ここのあるじは生きている。生きている、といういかにもわざとらしい認識の裏にはいつも死が貼り付いている。病室はその、死という概念の塊があちらこちらに転がっていて、目の前のこの男にせよ、もしかすると隣の病室の患者にだって、蓄積された死が重苦しくのしかかっている。それなのに活けられた花に付随する葉の青々しいこと!
 それでも一度死を退けた男は、ベッドに半身を横たえながら何とはなしに藤原を見つめている。藤原は目をそらして、またキャビネットの上の花瓶を見た。この無機質な部屋で目を引くものと言ったらそれくらいだった。きれいだな、と言うと、丸藤は手を伸ばして一輪を抜きとった。
 丸藤はしばらく手のひらに包みこむようにして花を撫ぜていた。大きな平たい手はずいぶん乾燥していたが相変わらず強靭だった。彼はその手で淡い色の花房をゆっくりと、手持ち無沙汰のように毟っていった。
 強く恵まれた者だけが生きる権利を得るのだとすれば、これはまったく映じた情景そのままと言ったところだった。儚く美しい妖精を手折り、現在に醜悪だけを残していく鮮やかな裾の引きを見ていた。丸藤は手の中のかつての美をシーツの上に投げ出した。
「おれはおれが強い葉であるために、あらゆる美点を剪定させた、おまえは……」
 おまえはどうする、と丸藤は言った。この迷いやアンニュイすら微熱っぽい白痴じみた美しさがあるのだろうか。生きていくために非道であることは死を恐れることと同じだろうか。シーツの上の花弁は惨めなもので、黒ずみの中でもがきながら花粉を執着させていた。
 おれは忘却を欲したのではない、死を恐れただけだ。死を避けるための跳躍という点で、激甚と隠匿は似ている。丸藤が庭師をして認められた立派な葉だとすればおれは庭師の鋏を逃れた葉、光の反射で隠れてしまった小さな葉だった。そしていま、やわらかに主張を続けた花房は死に、おそらくはもう万能の蓑などない。
 丸藤からの問いを、藤原は視線をもって静かに応えた。

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