天使の翼 万明日きょうはまんなかバースデー 準は無数の茎が密集した、重たい、しかし不安定な花束を抱えて唖然としている。男のひとって花が好きね、と言う悪意のなさが子どもらしかった。天上院明日香は恋愛を恋愛と認めるのが下手で、博愛主義だとかそういう点で鑑みれば、到底似ても似つかぬような兄の血を分けているのも頷けた。「詳しいの? お花」「いや、ぼくは……天上院くんのほうはどう」「あらわたしが詳しそうに見えるかしら」 彼女は眉をひそめ、俄かにいたずらっぽい顔をした。そして、重いでしょう、と言いながら準の腕のなかから渦巻く芳香をひょいと取り去る。形式的な感謝のほかは何もなく、もちろん歓声も上がらなかった。貰い慣れているのかもしれない、と準は瞬間的に思った。家族のわずかな表情の曇りにおびえるような本能だったが、彼はなるべく磨かれたその直感に頼りたくはなかった。「すまない、花、好きじゃなかったかな」「飾ってもすぐ枯れちゃうのよ、とくにこの時期だと」 毎日お水取り換えてるのにね、と遠慮がちに付け加えられ、準は拍子抜けした。貰ったそばから燃えるごみに出されているわけでなし、まして花瓶に挿されている風景が実在するのだと知れば、準にとって(すくなくとも準にとってだが)これほど報われることはなかった。対して明日香の表情は翳り、大きな目がわずかに射しこむ光にきらめいている。「嫌なの、なんだかとっても悪いことしてる気持ちになるわ」「やさしいんだね」 思わず準は口をはさんだ。いままで抱えていた花のみずみずしいつめたさがゆっくりと手のひらから抜けていくのを感じていた。それはたしかに生きているものの証で、もはや明日香の腕のなかにあり、根付き始めている。あの冷ややかな恵みは彼女の肌ならよく馴染むだろうに、ちいさな、すぐそばに終わりの見える生にさえも、平等の重みを感じている。そのまっすぐな姿勢は、生命を背負う責任というものの重圧を素直に覚えていた。彼女は真面目でたおやかな少女だった。 こんなひとが——ならどれだけいいだろう。 はっとして、準はつい熱くなった頬に触れる。そんなことにはちっとも構わず、やさしい、そうかしら、と明日香は繰り返す。「臆病なだけよ」「無責任よりずっといいさ、きみは……」「なに?」 一呼吸置いたまま、ことばは続かなかった。(切り花なんかもう止そうかな、彼女を愛したい。おれがずっと欲しかったのはつまりこういうことなのか。むかしを埋めあわせるなんて馬鹿馬鹿しいと分かっているのに、おれが幼いころ、こんなふうに慈しんでくれるひとがどこにいたのだろう。おれはそんなだから、使い捨てられる美や機能への賞賛がすべてだと思っていた……)「その花、今がいちばんきれいだっていうから、天上院くんにどうしても見せたかったんだ」 口をついたのはそれだけだった。明日香はおどろいたようにして、肩をすくめ、腕のなかの花々と準の顔を交互に見た。それからようやく落ち着いて花束に顔をうずめる。その梅雨どきの水っぽい匂いが準にさえ伝わるように。「似合うと思って」「わたしに?」「ああ」「なるほどね、そうよね……真っ白な百合なんて、あなたきっと好きで選ばないものね」 彼女は大人びて見えて、どこか一点が欠落したように純朴だった。なぜなら準の知っているほんとうの大人たちは、こんなことで心を痛めたりはしなかった。彼女はこの花を飾るだろうか。わたしだってこの花の名前くらい知ってるのよ、と明日香は無邪気に胸を張った。それならばぼくはこの花ことばをも知っている——、しかし準はただ微笑んで、彼女の蜂蜜色をした髪がうっとりと花びらの上に垂れるのを眺めていた。