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薔薇を食む

カイミザ
ミザエルが半陰陽です


 空気は澄みきってわたしのからだをひややかに切りつけた。非常に残念だが、怯えや羞恥という感情がわたしにもあることを知った。神だとか妖精だとか言われるけれども、性に取り残されたからだというものは、こんなときは疎ましいだけの醜いばけものに変わってしまう。しかしガウンをはだけたとき、カイトはわずかに目を見張ったきりで静かなものだった。
 事務的な視線はいつもと変わらなくても、わたしはこれからカイトと愛しあうのだという。まだ、愛するということがわからない。知りたい気持ちばかり逸ってしまうからいつも、もどかしい思いをする。
「愛せない? このからだでは……」
「そんなことない、ミザエル」
 カイトの声色に微笑を認めるや否や、目の前が翳って、わたしはふっと息を漏らした、口の端からだらしなく唾液をこぼして、これはくちづけというのだ。そう、愛しているものには、時間をかけてそれを伝える、そのためにくちづけや愛撫をするのだと教えられた。すこし乾燥したくちびるは薄い。たくさんうるおしてやりたいと思う。かわりに舌がやわらかくて、熱かった。からだ全体が熱をあたえられた気がした。くちづけを何度もしたとき、みじかく、カイトの息継ぎが聞こえるのがうれしかった。
「きれいだ」
「らしくないっ、気味が悪い」
「だまっていろ」
 見かけによらず力の強いことだ。押されて背が反るが、カイトの手がそれを支えた。こわいほどだ、慣れない。やさしいことは良いことのはずなのに、弱者と見なされた気がしてならない。わたしがカイトを守れるほど強くなくてどうするのだろう、きれいなものはいい。だけども、きれいだって、弱くてはしかたない。
 わたしもカイトも突っぱねられたら恥ずかしくなって、ますます冷たくなる、それがわかっていてどうしてこんな、こんなことを言ってしまうのか、わたしは謝れない。誇りをはき違えているのもよくわかっているつもりなのに、正直でいることは、からだを曝すことよりむずかしい。
「カイト」
 カイトは目をとじたまま、裸になったわたしの、まずは鎖骨に舌を這わせた。まずは、というのは、もう次が見えているからだ。したことはないし、見せたのもきょうがはじめてだが、これも教えてもらったことがある。すべてだ。自分のからだのすべてをカイトに教えてもらったといっても、なにもおかしいことはなかった。
 わたしは無知な自分が情けなかったのに、彼はばかにすることもなく、淡々と、なにもかも明るみに曝してゆく。今だってそうだ。予期していたように、なんの温度もない。それがむしろ心苦しいのをカイトは知っているだろうか。明るみに出たものひとつひとつ、静かに否定されるようなおそれを、知っているのだろうか。
「そ、そんな、何もないとこ」
「ある、おまえの胸だ」
「ばかっそれが何もないと言ってるんだ」
「じっとしてろよ! 噛むぞ」
 どちらでもないからだだ。胸はふくらまなかった。ないほうがましなものだと思っていたのだが、これではきまりが悪い。平らかな胸を、わたしが湿したくちびるがつうっと撫ぜた。そむけた顔でも、目の端にはカイトの長いまつげがよく見えていた。かかる息がひどく熱い。欲しいのはこの温度だ。この温度で、いま彼が何を思っているのか、変わらない表情よりもこの内側を知りたいと思うわたしは強欲だ。背にまわされた神経のこまやかな指さきが、わたしを掻っ攫おうと、ばらばらにぎこちなかった。
 ことばは嘘になり、胸のいただきがやさしく含まれる。カイトの舌はおよぐ魚のようだ。つんと尖ってみたり、あまやかに溶けそうだったりする。血のかよう心臓が高鳴って、本能的に両の手を握りしめると、カイトはくちびるを離してほとんど息だけで「だいじょうぶ」と言った。だいじょうぶ……なんの根拠もないが不思議と落ち着くことばだ。母親に抱かれたときはこうだったろうか? でも、乳をほしがるのは言った本人のカイトで、それがなんだかちぐはぐで奇妙だった。
 ちゅ、と皮膚を吸う幼げな音を聞きながら、なんだか泣きそうになってしまう。おもいきり抱きしめたいというこの気持ちが愛しいというものだろうか。そんなものだから、握っていた手をほどきカイトの頭を撫でたら、彼はもてあそぶのをふいにやめて頬をわたしの胸に押しつけ、ちらとこちらを見てから微笑んだ。眇められた硝子の目が息を呑むほどうつくしく、取り繕う声がふるえた。この男は、わたしをこんな目で見るのだ。
「まるで……子どもじゃ、ないか」
「男はこうなんだよ」
「愛しあっているとき?」
「そう」
 ではわたしは男ではないのかもしれない、カイトを胸に抱きながら思う。女でもないけれど。鼓動を聴いているだろう彼が見たこともないような安心しきった顔をするので、だまされている気分になる。だいじょうぶ、だいじょうぶ……反芻して、吐息に耳を澄ませた。睡っているときの、嘘をつかないおとなしい呼吸だ。怪訝せざるを得なくてもそれが真実ならば、信じるしかない。
 男は愛しあうあいだだけ子どもになる。歳を取らない少年というべきかもしれない。それはおそろしく耽美だ。たとえば血を吸って生きる、なまめかしい鬼のおもかげをおぼえた。そこにはわたしと同じように、取り残された中性があった。
「あまえるなんて」
「嫌か」
「ちがう、ちがう、……」
「好きだよ」
「わたしも、……だからもっと来て、いい、」
 なにかぼんやりと、術などかけられたように両唇が開き、求めていた。このときたぶん、ようやく解放されたのだ、理性の縛りから。聞き届けたカイトは身を乗り出して、わたしの首すじにしなやかに食らいつく。この痕がわたしを、彼と同じものに変えてゆくとしたら、見放されたからだでも人と呼ばれていいのだろうか。
 痛みではなく、気怠い快楽だけが肉体を侵した。カイトの血が、わたしのからだに混ざり込む幻想を感じる。カイトの、これは母の記憶、孤独、郷愁、ああ、ひとはこんなにも、たおやかな生きものだ。
「なあ、これが? わたし……わたしたち、愛しあえているか」
「もちろん」
 何も気にしなくたっていいんだと耳朶が熱い息で満たされる。カイトの表情はもうすっかり、わたしの求める温度と同じ色をしていた。受け入れられたのだ、安堵に視界がにじむことも、浅ましくはないと思えた。
 自己をひた隠しにするカイトもきっと、秘密をかかえたわたしと同じだけ拒絶が怖かった……わたしも、あるだけのうつわで受け入れたい。愛するということ。魂のありかを探し、みだれてはからまって、慈しむたび、夜が深く、深くなってゆく。

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