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輝きを示す

藤原優介
お題をいただきました


 たとえばつねに、ドアの隙から漏れくる光の印象がある。ときおりは隔たるものが鋼鉄の重たい扉のように思えたし、反面、蜃気楼のようにも見えた。その矛盾は藤原優介にとってなにも不思議なことではない。そんなとき、彼は自分が弱い虫にでもなった気がした。幽かに灯るあかりを勝手によろこびとする。しかしもうひとつの人間性が、寄りゆく彼のからだを押さえつけた。いつのまにか人間性がまさっていた。そこにある餌は、暖は、ちかづけば遠ざかるのだと学習したのである。扉の向こうではみなの談笑がある。だがそれがそのまま、彼を迎えるわけではないのだ。
 彼はおのれが俗に落とされることもまた拒んでいた。じっさい、彼はだれより満たされていたし、羨望の視線が向けられることにもよくよく覚えがある。問題は満たされるたびに、確実な不足があきらかにされることにあった。
「いいなァ、学園きっての天才なんておれも呼ばれてみたいよ」
 そういったありきたりの声がただの賛美として屍骨に重なるのではなく、このうえない揶揄に変わって彼を傷つけるのである。切磋琢磨を忘れた愚鈍による類まれな能力についての言及は、だれもが基本的に持ち得るはずのものを永遠に求める藤原にとって嘲笑の批判でしかない。まわりを花々で満たすたび、決定的に欠けたものが剥き出しになった。それを誤魔化すためにさらにさらにと手を加えて、あとに引けなくなってしまったのだ。
 彼は自他に厳しかった。言葉だけで手の追いつかぬものは、躾のされない犬や鳥であった。求めるものは簡単に手に入るはずである。だがみずからを犬や鳥に貶すことは許せなかった。それは傲慢の然るべき罰であった。高めることに、なぜ罰があるのか、彼にはとても分からなかった。
「世界は岩戸のそとにあり、しかしおれは太陽ではない。いくら称賛をかたちにしても、おれなくして、こうもあっさり世界が動いているじゃないか」
 しだいに孤独である理由が認められない焦燥が募った。だって振り返ってもみろ、ささやかな突出にどんな幸福があった? 強すぎる光は淘汰され、扉のむこうに閉じこめられるだけだ。照明ならば均一に越したことはない。すこしの闇があれば、暗がりの衣に身を包めると思った。彼はさびしかった。たいせつにしていたものも、けっきょくは、光を正義にしていた。
 それがひとに、まばゆい選択として称えられたと知ったとき、彼はすでにぼんやりとした心もちでしか失望を認識しなかった。これぞもっともひそかな幸いであると思った。感じないことが快かった。明るみに曝すものが敵であった。見えないならば手さぐりだ。その触れかたはおだやかで、やさしく、だれに対しても謙虚であった。ひとはそこで初めて光の意味を見いだせるのであろう。終着点をえがいただろう更地になった絹の海で、硝子の虹がこころを放っていた。

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