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甘美なる琴線

カイトとミザエル

 聖獣の縛めを解こうとしていた。灰の月面はもはや星そのものがひとつの歴史であり、その歴史の皺寄せのために彼らは苦しまねばならなかった。
「露骨な光とは悪だ! 善を装う卑劣な悪だ。きさまもその光を騙り、愚かな人間が作りあげた正しさに則り神を気取るのか。そうしてわたしの誇りを汚点と呼び、照らし、暴き、罵り許すのだろう。知恵の浅はかな人間はそれが救いだと信じてやまないのだ。辱めに他ならない醜い暴力が、カイト、おまえの傍にあるうつくしい龍の魂を穢すことにも気づかず!」
 気高き咆哮が、人のすがたを借りたミザエルのうすい両唇のあいだから放たれる。カイトはそれこそ正しい刃に、背くことなく喉を晒していた。彼は懲罰を待っていた。ミザエルの嫌うカイトの裁きは、あるいは常に、彼自身に向けられている言葉であった。ミザエルはそして偽善の光から、ほんものの善を選びとることも諦めてしまった。みずから従える、鏡のようにぎらついた異様な輝きだけを、彼は愛していた。光から逃れたすがたは、光を持つものを前にはじめて反射する。否定をこめた反射であった。
 ミザエルは、愛する鏡の龍の真実も、対する光の龍が諸刃であることも知らない。なにかを知りたいと思う知識欲(ある意味で人間の浅ましい欲の大成だとカイトは思った)が、諦観を憎悪にするミザエルたちにはなかった。光の龍が諸刃であるというのはつまり、神を気取り、辱めに他ならない醜い暴力を振るうたびに、機械的な光はカイトの影までをも明るみに出したということである。契約の代償を惜しみなく払っていたつもりだ。カイトにとって光の龍は、悪魔であった。それでもよかった。誇り高い悪魔を従えたことを、彼は悔やまなかった。
「うつくしい龍か」
 ほんものはいつでもうつくしかった。自分のなかのほんものを、ミザエルは認めない。みずからは求めず、だが与えられたものすべてを否と退けて、まるで子どもであった。呪いのために時を止めていた。そんな童話が、かなしいリアルで目の前にある。
「それならミザエル、おまえはおまえを穢した醜い暴力の正体を、知る勇気はあるのか」
 訝しむようにこちらを見たミザエルの蒼い目が、膜をうしなって遥かに澄んだ大気の彼方で冷たく光っていた。カイトはそこに、たしかに寂しい光を見た。かつてのカイトが持っていた、磨り硝子のぼやけた光……咆哮のうちに潜む牙の稚さを、たとえば愛するものへの甘えが殺しに変わるような絶望を、見つけてしまったのである。

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