擬態の籠 零とベクター 暗闇に生きるひとの眼は夜の真珠になってぎろぎろと光った。鈍色の光を放つ真珠だ。彼は、海が嫌いだった。どうしてか尋ねると分からないと言った。ベクターに分からないことがぼくに分かるはずはないので、不可能というのがどうにもあるのだと思っていた。 真珠は石ではないらしいと聞いて、ぼくは驚いた。貝がつくるのだという。生きものがそんなに形よくうつくしいものをつくれるなんて、きっと貝は器用なのだろう。不器用なぼくのつくるものは、いつもどこかいびつだ。ベクターはそれを見て、ぼくが「足りてない」からだと笑った。真珠のうつくしさを知ったら、つまりぼくが「足りてない」のは、ベクターが不器用だからということになってしまうんだから、それはちょっと困るな。 このまえ、あこがれのひとから、挑戦というのを教わった。しかしいくらがんばってみても、なかなかうまく行かなかった。ぼくのせいでベクターがだれかに笑われるのがいやで、いわゆるその、かっとビングという精神を信じてみたけど、遊馬くんのものを、ぼくが真似したってその通りにはならないのだと思う。めげずにやっていたら、ベクターがまた笑った。ぼくはベクターにつくられたのだから、できればふさわしく、ありたいのだけれども、ベクターのほうはぼくなんてまるで気にしていないみたいだった。嫌いなものはたくさんあるのに、嫌いな理由が分からない。ベクターはそんなこともちっともふしぎに思わないらしかった。自分のことを知りたいと思わないのは、なんでも知り尽くしてしまったからじゃない。あきらめたからでしょう。そんなのってあんまり、かなしい。 真珠は、勝手につくられる。ぼくも、無心のひとから、できばえなんか考えられず、自然に生まれたのかもしれなかった。ベクターはときどきぼくを邪険にした、理由もなく。きっとかつて、その光は透きとおってむこう側をよく照らしたのだろう。けれどもぼくが生まれたころには鉛の色をした暗い光しか見つからなかった。ぼくは自分の光がどんな色をしているか、あるかどうかも知らない。知りたいとは思う。ベクターが知らないことを、ぼくが知る。不可能なんてないって、遊馬くん言っていたんだ。 だから貝の虹を知る目を眇めて、会ったことのないひとみたいにぼくを見ないでほしかった。きみは成長を喜ばない。生まれた真珠が色を変えて大きくなるのが、ベクター、そんなにつらいのですか。かなしい顔しないでね、かなしい顔、しないでね。