境の園 亮と藤原もしもの世界 おれは藤棚のあるベランダを眺めていた。薄むらさきの花はたとえば水晶を形づくるひとつの要素と思われた。青く繁った葉に、髪色をかさねる。そのひとはテーブルの向こう側でおだやかに微笑む。「花が好き?」 唐突な質問に答えはつっかえて、やっと「すこし」とだけつぶやく。藤原は指さきを口許にやって溢れる快活を隠した。何を言ってもうれしそうにしている、おれのたどたどしさも、ここでは何らの障害にもならなかった。おれたちのあいだにあるものは陽射しだけだった、藤原の睫毛はひかりのために重たそうにきらめいた。「あのねえ、ここの藤の花はずっと咲いてるんだよ」 藤原はにこやかに言った。おれにはこの花がいったいいつ頃に花をつけるのか知るべくもなかったが、口ぶりからすれば、たしかに不思議な現象なのだろうと思った。「だから好きなんだ」 夢見がちな視線が窓硝子を見透かしてベランダへ注がれている。変わらないものは好きだ、と藤原は言った。おれはそこでなんだかひどく不調和なものをかんじたが、他人の好きなものを否定することは、信義においてゆるされなかった。そうか、と打ったおれの相槌を、そうだよ、とおとなしく受けとめていた。「でも、あしたになったら、わからない、それがたまらなく怖いの」 視線は逸らされない。まるで瞬きの間に散るような儚さを、藤原はその花に抱いているようだった。ここでは夜なんか来ないのだ、とおれはふと思い、はてそれはなぜなのか、根拠もわからずにぼんやりしていた。その陽射しはあたたかく、つねに微睡みのなかに身を泳がせた。 その肩を抱いてやらなくては、とだれかがおれに言った。その頬に手を添えて、だいじょうぶ何も恐ろしいことなんかないのだと言ってやらなくては。そのとおりだとおれは思った。それがおれの信義だったような気がした。「怖いんだ、だからここにあなたを呼んだ」 ああそうだった。陽射しはその人の名を冠してやさしかった。おれはここから離れたくない。春も夏も秋も冬も花が咲いて、ちっとも裏切らない美しい庭を、守っていかなくてはならなかった。おれはテーブルの向こうに置かれた手をとった。想像よりもずっと細く、たおやかな指がそろっている。つま先は熱っぽく染まって、このひとも、ずっとこのままでいればいいのにと思う。「変わらないものが好きなんだ」 藤原は繰り返した。変わりたくない、とおだやかな微笑を浮かべて言った。おれはいつまでだってここにいようと誓った。ちょうど墓を守る獣のごとく、はじめにここに足を踏み入れたときから、それは決まっていたのだ。