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沙上の王

アークファイブ
カイト
感想代わりの捏造です


 目が醒めると一面が緑だった。この広場でよく遊んだのだ、いつだったかは忘れてしまった、となりには、だれかが……だれかがいて、おれはその、だれかのことを、大事にしたいと思っていた……のに、顔も思い出せないなんて、(ただこのひとには、くるおしくて泣きたくなるような、甘噛みのうちにゆっくりと蕩けてゆくような、なんともいえない心地を抱いている)おれというのはそういうやつなのかもしれなかった。
 おれというのがつまりどういうやつなのか、どれだけ考えてもさっぱりわからなくて、そのくらいここは居心地がわるい。聞きなれたような、なれないような、笑い声がして、こどもがたくさん遊んでいて、そういえばおれの正体はこどもだったろうか。なんだかしっくりこない、ではとなりに霞むこのひとがこどもだった、ろうか、忘れてしまった……とにかくおれはここがとても、かつてはとても好きだったのだ。花もあって、噴水もあって、ショッピングモールも大きいのがあって、飛行船だって飛んで、むこうには高い塔が、塔があって、おれはよく学校帰りにここから、学校とはなんだっけ、考えがまとまらない、ひどく眠たい。
 からだが重く、遠くを見たくてもまぶたが勝手に下りてしまう、このあたりに、いつも見ていたものがあったのだ、なにより好きだったものが、あったのだ。おれはいつしか立つこともままならず、地面に這いつくばっている、たいへんに吐き気がして、息苦しくてたまらない。みんなが不審に思わないか気がかりで、無理に起き上がろうとするのだが、だれもおれのことなんか気にしちゃいないのだった。おれはなんだか、動けさえすればどこに行っても許される気がした。許されないこともあったろうか、と考えて、またよくわからなくなって、あきらめた。みんなおれを無視して笑っていた、ふしぎに、おれはそれがちっとも憎くなかった。
 目が醒めると街は夕方だった。場所は広場ではなくて、もう少し行った石段を登りきったところだった、おれはそうだ、ここから眺める夕焼けが好きで、なんといってもここは広場が見渡せるのだ、たくさんのひとが集まっているあの場所を、どろどろに熟れた柿のような色をした太陽が、ゆっくり濡らしていくのだ。黄金いろに染まった噴水がきらきら光っていてそれはうつくしかった、はずなのだが、どうも今のおれにはそれがとても悲しくてしかたなかった。かなしいというより、地べたの石を拾って投げつけてやりたいような、癇癪、めいたものが沸々と湧いてきたのだった。
 おれが座っている石の横には細長い時計の柱が建っている、なにげなく、いつもするように(いつもとはいつだろう)それを見あげると、零時のままぴったり止まっていた、夕方なのに、壊れたのかな、と思った刹那、おれはきゅうに我に返ったようにおそろしくなった。なにかとんでもなく大事な約束を忘れている気がした。おれは手持ちの時計をさがす。零時だった。街は急速に暗くなっていく、月明かりもなく、寒くて、ひたすらに焦りながら戸惑いの中で足が動かない。だって、おれ自身その大事な約束も、帰る家さえも、思い出せないのだ。

 カイトは飛び起きた。おそらくは五分も経たなかったのだろう、これでは眠りかたも忘れてしまいそうになる。彼はぎらぎらした目をゆっくりまばたかせて、思い出す、水を汲みに行かなくてはいけなかったのだ。喉ばかり渇いてしまう。ほとんど空になったタンクを抱えながら、夜がこれほど冴えていたかと思う。それは彼がゆめのなかで、おびえたものの姿だったろうか。
 あるべきものがうしなわれた街は半透明の膜に覆われているようだ。目を凝らして片時も気を抜けなかった。噴水はだらしなく水を垂れ流す。そこの縁に寄りかかるようにしなだれ、片手でタンクを浸しながら、おれが見たのは火だった、と彼は思い出している。あの日おれが見たのは夕暮れではなかった、あれは教科書で眺めるだけの戦火にすぎなかったのに、あっという間に街を呑んでしまった。貪欲なうわばみのように。おとなたちは何もできなかった、こどもだって、みんな大切なものをうしなった。ごぽごぽと音をたてて、タンクに水が吸われてゆく、あたりまえだと思っていたのだ。たぶん。何もかも。
 ゆめのなかで見たあの夕暮れを、うつくしかった、と思った日がたしかにあったのだ。きれいだね、とだれかに伝えたかった、それは、広場にいたあのひとのことかもしれなかった。日々はうしなわれるばかりだ。大切なものを取り戻すために、大切なものを犠牲にして、今となって彼の手の中にはなにもなかった。なにかのために必死だった気がする、それなのにいつのまにか全部なくして、ひどく身軽になった気持ちで四つ脚のまま恐怖の喉笛を噛み破っている。それがほんとうの姿でないことはうすうすと記憶していたが、しかし、だからといってどうしようもなかった。おもかげを追うだけ無駄のように思う。瓦礫のうえでは鬼神たるほかに重要なことは欠片もなかった。
 カイトは汲み上げた水を一滴もこぼさぬようきつく封をして、そして左手で、地べたの石をひっつかんで投げつける。ぱん、と石畳を跳ねるむなしい音が、銃声のようでますます憎かった。すべてが渇いていた、もう、すべてが憎くてしかたがなかった。水面にうつる彼の眼光は孤立した風に曝されて荒々しくささくれ立ち、わずかな陰影にも異常に敏くぎらついていた……追い詰められた獣の目! うしなうものはなにもない、恐れるものはなにもないはずなのに、彼はつよく唇をかんでいる。血の滲む味がして、街を濡らすやわらかな偽善の光が鳥のように彼の脳裏を掠めては消えゆき、これが、正しさなのだと思い知る。

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