幻燈 とうけんらんぶ一期一振と五虎退口調がわかりませんな その目に焔が見える。ときどき一期一振は顔を隠す、火傷もないのに怖れている。すまないと言う先にはもっとも臆病な弟がいて、薄闇のなかに黄金の眼を光らしていた。灯りをつけるのはその弟、五虎退の役目であった。兄はいつも揃った睫毛を伏せていた。「おまえ、火をともすときは気をつけなさい」「はい」 五虎退はつとめて微笑んだ。長兄である一期一振はやさしく誠実で、戦場でも彼らの英雄であったが、後者はゆえに恐ろしいものがある。道具の幸福は使われることだろうか。それならば五虎退はべつに、耐えうる限り不幸であってもよかった。血の匂いは、あるはずのなかった心が痛むのである。しかし兄は殺した。その姿はつとめを果たすに余りある、記憶を食らう修羅であった。やがてぼんやりと明るくなると、兄が刹那、目を閉じて、またゆるやかに開いた。「点きました」「そうか、よくできた」 褒められるのは好きだが、兄にされるのはくすぐったい。おいで、と言われて彼の胡座のうえにおさまる時間だ。自分だけが特別に呼ばれる日がある。うれしいけれども、自分が臆病なものだから、いっとう気にかけてくれるのだろう。同じ向きで座し、ときおり振り向くように見上げれば、戦におもむくときの心強さを思う。兄は弟たちとともに戦場へ行くことを好まなかった。五虎退もまた、できることなら、やさしい兄だけを見たいと思う。反面で、知らぬうちに二度と帰らぬところへ行ってしまうことが怖いのである。明日も兄は五虎退を置いて出陣する。このごろは多い。「五虎退、火が怖くはないか」「火傷はいやです、でもきれい……いえ、やっぱり少し怖い」 一度きり見た修羅の兄が、目に焔を宿しているのを五虎退は見たのだ。思い出しては、そう答えた。一期一振は知らず、やおらに頷いた。「虎の子だものな、五虎退は」「だっていち兄、そんなの、うわさ話なのに」「虎の子さ、その眼も、そのくちびるの下の……小さい歯も、よくわたしを噛むかわいい歯」「ごめんなさい」「ふふ、からかいに慣れねばね、みなさんよくおまえを気に入ってくれるもの」 一期一振は五虎退のうなじにくちびるを寄せる。そうやって家族にいとおしく触れるのは、主が観ていた海の向こうの活動を真似したのである。知見を広くしたが、彼の興味は過去にある。もう二度と戻らないものを追うのが人だと、言われた。おれは人であろうか、一期一振は思ったものだ。生まれの記憶がない人なんて、途中からはじまる劇くらい、つまらないのであろう。「ぼくもっと、いち兄のようになったら、からかわれないで済むでしょうか」「おまえはわたしに似ている」「そうかなあ」「虎は獣だ」 くすぐったく捩っていた五虎退の身が、思わず竦んだ。見上げた兄の目は洋灯の火を映して揺らめき光っている。こんなとき、五虎退はほんとうにかなしくなるのだ。夢から醒めるようで。「獣は火を恐れるだろう、わたしも獣、おまえと 同じ……人にはなれない」 心があるのだ。心があって、もの思えば、なぜ人と呼んでいけないことがあるだろうか。五虎退は兄の胸に、顔を見られぬよう頬を押しつけた。眠たいかな、と背を撫でられる。手つきは艶やかな毛並みを保つ。愛される理由を考えるのは、憂鬱なことのような気がした。「明日は……明日は、ご無事で」 何もなければ、忘れていくものもある。つらいことも忘れてしまえばいいと思う。真似事は真似事、人にはなれない、うわごとのように繰り返す兄は、そうして自ずから呪いをかけるのだ。 獣は殺め、人は殺めぬ。そういう時代になってしまった。心わずらえば涙があふれてくる。五虎退は泣き虫だ。弱いのはいやだ。だが彼にとって兄はもっともっと、不憫でたまらない。兄は迷わず強く正しい道を歩んでいたはずである。あのころ人らしい生きざまを、焼きつけられさえしなければ。