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きらめきの街

おまえは私を忘れない。(ヘッセ「兄弟なる死」)
最終話まで観た人向け
Charlotte
隼翼(と熊耳)


 ときどき、思い出さなければ忘れる。海と夕焼け、ひまわり、もう二度と見ることのかなわないものたち。万物は忘却の彼方に死せり、である。とりわけ色というのは当たり前に存在していながら複雑なものだ。というより、当たり前に存在しているものへの理解がもっともむずかしいところなのだろう。夢もきっと、しだいにぼやけてゆく。おれにあるのは白杖を通した地面のかたさ。盲いた鳥なんていまさら、翼の使いみちもない。
 ひとにぎりの花束の色も、わからない。鋭くなることもなく、花の匂いはみな一様に青くさい。おれたちもそうだったろうか、まだ大人にならないまま、ちいさな箱に姿を変えられた少年。おれはおまえの骨の白さも知らないでここにいるのだ。いまも、あの乾いた音が鼓膜のそばでこすれる気がする、それがおまえの身体の最後だった。隼おにいちゃん、グラスを持つ手にあふれた水がかかって、声とともに支えられる。歩未。おれはけっきょく、どちらかを失わねばならなかった。選ばなければ……だが選ぶのはおれではなく、神だ。二物は与えない。翼をもてば脚を失う。星の末路に残った人間が、全能の代償としてその引き金をなくしたように。熊耳、おまえの脚はつよく大地を駆けていた、歩未も大人になりゆく、きっとおまえのようにしっかりと、生きることを踏みしめるのだろう。
 死者とはあたらしく思い出を築けないんだ、と冗談めかした言葉は、洒落にならなくて良くなかったな、ほんとうは有宇が羨ましかったのだ。謝らなくてはいけない、おれは愚かだった、闇のなか一歩を踏み出すことの勇気は、だれより理解しているはずだった。けれども彼はあのとき、投げだされた世界とともに、忘れることの恐怖も知らなかったのだ。真の死は忘却の彼方にあり、おれはいつまで保てるだろうか、ずいぶん臆病になった。笑うだろうな。絵日記でも書けばなんて、簡単に言ってさ。おまえがジョークを鵜呑みにしたように、おれも本気で絵日記でも肖像でも描いたっていいんだ。おれの身体でありながら、記憶というのはなぜ勝手に、だいじなことも忘れてしまうのだろう。ときには忘れたことも忘れていたりするのだから、思うままにならなくて腹立たしい。不自由はこれが初めてではないのに、理不尽には苛立つのだから、おれはなにも変わってはいないらしかった。そんなことにいちいち安堵している。足踏みのままではいけないと、だれもが言う。
 たぶん記憶というのは、おれたちが何ともなしに過ごしていた日々のどこかがすっぽりと抜けて、そこから果実が腐るように少しずつなくなっていくものなのだ。おれはこのごろ、夢で母の顔を見なくなった。そんなふうに、きっとおまえの鋭く甘やかな視線もいつしか白んだ磨り硝子の向こうに行ってしまう。おれは傍にいる歩未に、花の色をたずねた。白。ふしぎだ、まっさらなものなんて、おれはうんざりなのに……塗り替えられないはずの黒い花を、縁起が良くないって言うんだから。忘却の彼方に流されてゆけと、だれもがそう言っておれの背を押すようだ。時ばかり流れる。おればかり歳をとる。記憶はそのたび上書きされてゆく。何も知らずに存在していた、どんなにあがいても、もう二度と遡れないのが時というものだった。自然の摂理、これが、おれたちが望んだ世界なのだ。

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