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とうめいな機械

──わたしがあなたのなかでわたしにならうとするとき、あなたの手足がじゃまになったことはほんたうです。わたしの手足も。(吉原幸子「オンディーヌ Ⅲ」)
カイミザ
pixiv『チューニング』の改題


 玻璃のような蒼い目がそうさせていた。手をとって、おもわず、からめた指を離せずにいる。でありながら、見開かれた双眸は次第におちつきを取り戻してゆく。うつくしい目だ。ほそい指だ。おれたちはなぜこんなにも。
 ……それでどうする、とかわいた声が落とされた。血も吐きそうに途切れたことばはもはや、同じ形での答えを求めてはいないのだった。ただしばらく、粘土で遊ぶ子どものように、指を解いたりつないだりしていたが、むろんそれが答えであるはずもなかった。どうする、とまた声。おれの喉は答えない。くちびるだけが本能になって、はじめにことばありき、と思い出しながら、(あんなもの、笑わせる。)まなじりに口づけるとにわかに目を閉じる、薄い天蓋に覆う。静脈の木々が透けんばかりに。蒼いのだなにもかもが、おまえのすべてがまだひとつとして侵されないから。だがいずれは鮮やかに変わる、そして、それを行うのは、もの思いのさなかにも、くちびるは眼窩をたどり、頬をつたい、おれはそこで、やめてしまった。
「いくじなし」
 意気地というのはいったいどこで培われたのだろう。おれはたしかにそれを持っていた。それだけを持っていた。というのに、なぜだか今になって、霧のように消えたようだ。おそらく意気地というのは場合にいろいろで、おれは、この状況に適当な「意気地」を持ち得ていないのだろう。など真面目に考えていれば、この蒼い目はきつくおれを睨む。その目は好きだ。うつくしい目だ! だが、おれにことばはない。とくに賛美のことばは。だから意気地が要るのだ。おれはやはり、感謝とてしない、が、この場に適当な意気地は蒼い色をしているのだと思う。
 いくじなし、と罵るのは、そのくちびるだ。きっと後悔する。ことばが先立ったことを。おれは貪った。この明らかな相違の検証にだれより飢えていた。おれたちはなぜこんなにも、すべての形づくるものが違うのだろう。これほど近いと思っていながら、なにもかも違うのはどうしてだ。この受け入れはじめたくちびるも、背徳に冷える長い髪も、まるく揃った爪のさきも、光を載せた睫毛も、抱える腰のはかなさも、認識できるのに、おれのなかに知ることは決してできない。その思想を尊重するより、個人的所有のもとに組み敷きたいと思わせるものはなんだ。貪りながら、おれはおまえがおそろしい、とひそやかに唱えた。けれどもおまえは、天蓋のしたに瞳を隠していたから、その真意はわからなかった。きっと気づいていないのだ、ことばは口移しでは伝わらない。
「カイト」
 おれの名前だ。そう呼ぶことでおまえはおれと、おれ以外のものとの区別をつける。おれはおまえにはなれない。おまえもまた。人は所詮みな水と油だ、だれしも溶け合うことはできないのだ。おれはおれを憎むが、おれはおまえが憎くはない。なぜ。おそろしくはある。なぜ。それはおまえが、おれではないからだ。どれほど魂が近くても。抱き寄せても溶け合わない、だからこそ心穏やかに抱き寄せられるというものだ。おまえは決しておれにはならない。首すじにかかる吐息がこれほど熱い。おれとおまえは、なぜだかこんなにも違う。おそるべきことに、違うことではじめて、おれたちは互いを認識する。
 おれにことばはない。だが知識として使うことはできる。おれの持つ感情にもっとも近いだろうことばも知っている。 いっぽうで言語による情報伝達が、アナログであることも嫌というほど分かる。それよりも劣化しないと思われるから、おれは「意気地」を持つのだ。おまえは意気地のほかに、劣化したことばをも求める、そんなもののなにが良い、けれどもおれは、おまえのそういう貪欲な姿勢がひどく好ましい。好きということばが、おれの知識だ。それを言うとよろこぶ。ときに不安がる。おまえを見ていると子どもを見ているみたいだ。おまえはわがままの最後にいつも、名前を呼ぶことを求める。はじめにも、おわりにも、ことばありき、なのだろうか。
 使い続ければ擦り切れる、好き、愛、うつくしい、そのどれもを今に使い果たす気がして、そのたび、おまえがおそろしくなる。おれはおまえのすべてに関してデジタルでありたいのに、それを言えばおまえはいつも、「人間は機械にはなれんな」と笑うのだ。ひとである限り、ありったけ生きていたがるおまえは刹那的で愚かしい。
「ミザエル」
 呼べば泣いた。安堵という感情がある。おまえはその四つの音が生み出す空気の震えで、ようやくおれの世界にその身が存在していることを知るのだろう。蒼い目が好きだ。溢れるなみだの透徹が好きだ。おまえをおまえたらしめる、その名前が好きだ。名を呼べばいつも堰をきったようにあふれる、この星が幾度となく聞かされた辞書的なことば。
「きれいだ……ミザエル、その、好き、愛して、……ああ、ちがう、なんでこんな」
「それでいい、わたしはそれでじゅうぶんだ」
 畢竟、おれも安っぽくてあいまいな情報を繰り返し伝えることしかできないのだ。身体が溶け合えぬことの代わりに。なぜ肉体だけでは満たされないのだろう、という問いの答えはあまりにも明瞭だ。おれはおまえの持つ愚かしい刹那に焦がれている。それはおれたちのはっきりと異なる肉体にではなく、もっと別の場所にあると知っているから、もがいているのだ。惜しみないおまえの生命力、おれと似て非なる魂のありかを、ありふれたことばで引き出すしかないなんて。だがおまえはそれが幸福だという。あるいは、そうなのかもしれないと思う。人類の最後のことばを知りたくなるのとおなじ……解けない疑問ほど惹かれるものはない。

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