空の人 零とベクター 星に手を伸ばせば遠ざかる、ぼくたちはもうずっと長いあいだ、ほんものを見つけることができない。手をつなげばすこしはいい。みんなが許してくれる。 ぼくたちは許されたい。許されるはず、許されたかった? この世のふしぎをすべて科学が解き明かしたらぼくたちは死んでしまう。ひとりはふたりのために、ふたりはひとりのために、ふるえて眠ることも知らずに、求めるだけだ。 街を照らすのは闇しかなくて、持たざるものが豊かになる。ぼくたちは踊っている。ぼくたちには不安しかないからたのしい。しあわせだ。子どもがおとなだ。遊びがルールだ。ぼくたちのなにもかもを許してくれる。賛美。賛美。賛美。ぼくたちは弱いから強い。うそだからほんとう。触れるからいない。見えないからそこにいる。きみがほんもので、ぼくはおもちゃだ。それがいつからほんとうになって、どこからうそに変わってしまうか、わからないけど、いまはしあわせだ。 ぼくは体を抱きしめても影を持つことはできないし、あのひとは影によりそっても何かを愛おしむ体を得ることができないでいる。でも踊っているかぎり自由だ。あんまり廻るのでぼくたちは体があるけどないみたいになってしまった。夜が昼になってしまった。きみがぼくになってしまった。それならいいなと思えば離れてしまうから、きみったらいやな顔をしている。 いつまでだって踊っていていいよと言われて、ぼくはうれしく笑うけど、それが嘘だってわかってしまってからは、ぼくたちがいままでたのしいと思っていたことがたのしくないということに変わっているのだ。世界というのはむずかしいもので踊っていることはねむっていることになる。 というわけで、ぼくたちはかなしんだりおこったりしてみる。これがしあわせだと思う。傷ついて泣いているひとを見たらかわいそうだから笑おう。木に吊るされたやさしいだれかが「あまのじゃく!」と怒鳴るのも聞こえないふりをしている。生きてるものが死んだもの。ぼくたちはいつまでも踊っている。ねむったら目ざめてしまう。ぼくたちは怖いから微笑んでみる、みんないないからみんな見てる、ぼくたちがいちばんの主役だ。