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神の国

Ⅲと遊馬


 歩幅の揃ううれしさがあった。このひととは、きっといつまでも、疲れを知らないと思えた。取られた手は握り返さぬまま引かれて、それは卑しいことだと心に留めても、おぼえた仕草はたやすく忘れうるものではない。きみは疑わない。水たまりの底にいつか旅立てると、笑って言えるひとだった。
「どうした?」
「ううん」
 きみの後ろにも、うつくしく佇む水鏡の者がいるだろう。揃うこともなく、しかし追いかけも追い抜きもしない、関係の理想を思い知ることはつまり代償だった。勝ち負けの問題にも、子ども騙しのお話にも、ならなかった。天使の名をなくしたぼくに示したのはきみだ。庇うものではあれ、触れるものではけっしてない。だいじなものを奪うより、施しをあたえ……どちらにせよ、この身を愛さなくては、なにひとつ変わらない。
 秩序など空に溶け込め! まぶしくて、とてもぼくには。揃った歩幅では縮められぬ距離というものをいま、引かれた手の、無力な湾曲に感じている。ぼくはきみではない。空が青くて、静のひとは果てしなく静まり、ぼくもまた、秩序を持っていた。
「もっと早くに会えればね」
 ほんとうに、その秩序のためにぼくはふたたび彼らを憎めない。あたりまえって顔をした。……これから一緒にいればいいじゃん、もう友だちなんだし、おまえの家族も仲直りだしさ。そうだね遊馬。きみの指先はいつも、微笑みはよいものだと信じる幸福な温度をしている。うしなうことを知ったきみの本心は、わからない。ときどき推し量るようにやさしい。みんなそんなこと見てみぬふりで、けっきょく勝手でしょう。なのにその先の、更なる転回を信じている。きみは、さびしさに、敏いんだね。
 ぼくは変わらず過去を求めたがり、きみはやっぱり未来を求めていた。けれども、声をうしなった気位が、かなしくも、きみの示した血統にいまだ刻まれている。では、今のでおしまいだ。盾はその口をとわに噤もう。そうだ、きみが笑っている。喚いたとて何になる。おのれを貶めても、過去はそのひとのように静閑で、ただしく、波ひとつ打たなかった。だとすればその貴さで背中あわせの虚を見据える強さを。たしかな存在の証として、うごかぬ遺跡のごとく。

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