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さいごの夜

零べく
お題いただきました
性行為

 暗闇に取り残されていた。吐き気のするほどまぶしい白の部屋を想像していたので、幾分ましだった。こんなことになってしまったのに、零とおれとは変に落ち着き払っていて、長い間、散策したりしなかったりしていたのだが、そのうち飽きてしまった。そこでは植物だけが元気だった。動物たり得ない生まれをしたおれたちをあらわしているみたいで不快だ。いろんな花が、変わるがわる咲いた。男なのに花が好きなんて、変ですかねえと、もう誰にも会えないのに、零は場違いに他人を気にした。とことん合わないのだ。花が好きなんて女々しいや。母上に花冠、花を編むのが得意だった気がする。なんだよ、思い出したことが、ぜんぶ苦しい。
 おれが花を嫌がったからか知らないが、無花果が変にあまったるく匂っている。植物なんて桜とひまわりと薔薇くらいしか分からないはずのおれたちが、今じゃ心のままだ。つまんないつまんない。そういうものって、ほしいときには、狂おしいほど手に入らないのに。
 おれたちは飽きると本気の遊びをした。本気の遊びは、いつまでも続いた。おれの身体がここに来てなお、あのままの醜い見た目をしているのを確かめることになって、うら悲しいような、誇らしいような気持ちだった。零もあいかわらず学生服を着ている。それもまた呪いのような象徴で、永遠に歳をとらないのだと思われる。へったくそに結ばれたネクタイを外したらすこしは見られるようになった。
「ンあ、あ」
 肉をかきわけられてゆく。おっこちていた無花果の実が、耐えきれず震えてぱかんと割れた。断面はおれの中身だ。なかなかグロテスクで、こんなふうになっていやがるのだ。零ったら泣きそうな顔してる。おれの中身で、がっかりするだろうな、もう、知ってるかもな。零は、徒花の黄色。実のない花。花のない実。おれたちは山吹と無花果だ。どちらも、どこか足りなくておかしいのだ。
「ベクターぼくよかった。ああ、これってとても、ほんとうみたい」
 零はばかみたいなことを言った。実がないので脳みそも空っぽだ。零というのは零落のこと。落ちこぼれることだ。そんなのも知らないで字面だけ見てうつくしいなんて思ってるのもばかだ。声を殺して笑ったら、ぐっと腹に力が入って、零がひくく唸った。おれもああと思った。泣きそうな顔をしているのがますます歪んでいる。むかし、こんな顔してたかもなあ。どっかのおれが。
「ほんとうみたい? ほんとなら……、困るんだ、おれたちまだ……やることがたくさん」
「ベクター」
 泣き笑いの顔だ。めちゃくちゃになっている。純粋な心に裏腹を強いていた。壊れちまったかもしれん。零は、おれの唇のなごりにそっと指をあてた。言わずと知れたくちなしの大輪が、目の前に焚かれたフラッシュのように光った。
「知ってるんですよね、もうなんにもしなくていいって」
「は」
「ぼくらもう、気にせずふたりっきりでいいんですよ」
 体重がかかった。ああ零はこんなにも重たくてしっかりと、実のないなんて嘘みたい。割れた無花果がじゅわんと濡れる。そのようすはものすごく気持ち悪い、けれども零はなんにも言わないで微笑むだけだ。おれは目をそらしたいけれども、ずっと人目を気にしたから、暗がりでも見透かしてしまう。
 大きな目ね、おまえをよく見るためさ。口はないのだ。怖がらないでほしかった。零は怖がらなかった。それどころか愛しだした。ばかだからだ。ばかだからだ。ばかだからだ……思わず顔を覆った手の、灰の爪がするどい。これでも怖がらない。駝鳥のように醜い翅。強欲と欺瞞の罰を、おまえは愛するのか。蝋の翅は英雄のしるしです、と言った……。
「遊馬くん泣いてくれました」
「うん」
「くすぐったいですよね」
「気持ちいい?」
「はい、今は、気持ちいい……ベクターがこんなにあたたかいもの」
 すりこぎで無花果を潰した。染みが広がって、海になる。洗っても洗っても取れないのだ。これは思い出だ。今度こそ残ればいいのになあ、でもなんだかおれは、消えちゃってもいいけどなあ。真月がベクター。ここへ来てからそれを、もう何千年も証明しようとしている気がする。うれしかったなあと零は笑ったが、目から涙がぼろぼろあふれてきた。おれと同じむらさきの目だ。雨の季節の色をしてるから、よく泣くのだなあ。零という名前だから、泣き虫なのかもなあ。零は、何度も何度も、夢中になって、気が触れたみたいに無花果を潰した。おれは零のすべてになるような気がした。零を生み出して零に教え零とまじわりまた零を生むのが、役目のような気がした。
「あああ、ん、あ。れい……零」
「ぼく、ぼく、きみから……ああ、生まれてよかったなあ!」
「零、……こんなの知らない、はあ、あ、気持ちいい、なんて、おれ」
「う、ン……はじめてですね、ぼくがきみに、教えるなんて……涙がとまらないのどうしてだろ、……ぼく……あ、あ、もう」
 身体を反らしたら、視線のさきで、無花果の、こんどは茎がはじけた。真っ白くなって、これ、怪我をするとあふれるのだ。おれたちは、こんな真っ白なべたべたした液体でくっついてしまう。元どおりだ。ああ。ぼんやりしていると零がいつまでも泣き止まないんじゃないかと思って、おもちゃもないのに、あやしかたなんか分かんねえなと、心配になった。しかしいつの間にか彼は涙をぬぐっている。たぶん植物みたいに、大人になるのが早いのだ。

 おれたちはしばらくそのまま抱き合っていた。とっくにすることがなくなっていて、今までどうしてあんなに、よからぬ企みが思いつけたのか、不思議でたまらないほど穏やかになって、気味が悪いほど頭が働かないのだった。
「雨は……好きです」
 零が急にそんなことを言った。降るわけもなく、山吹、くちなし、あかるい色の花ばかりが真っ暗闇を照らしている。本物の太陽がいらないんじゃないかと思った。こんなふうに、偽物がいつか、ほんとうになってしまうのだ。あんなに憎かったのに、うれしいなんて、どうかしてる。
「お葬列には、雨が降るんですよ」
「知らねえ」
「お柩が埋められて、隠れるのがかなしくて、土を雨が流してしまうんだって」
 ずいぶん間があってから、やっと相づちを打てたようだ。でも神はいなかった。それがほんとなら、だれがおれたちを、零を暴くのだろう。遊馬くん泣いてくれました。遊馬くん、泣いてくれました。
「ベクター、きみにとても似合う花があるから、雨は好きです」
 胸をぴったりつけて寄り添っていた。そんな花、ないやと思っていたら、右手のほうでちいさな花が咲いて、雲のようにもくもく増えた。あっという間におれたちは青むらさき、赤むらさきのおびただしい塊に囲まれた。指先ですこし触れたら、ぞっとするほど柔らかくて、身を寄せて怯えているのが分かるのだ。そいつらは幽かに明るんだ暗闇のなかで輪郭をじんわりと溶かしていた。
「あァ……なんで気づかなかったんだろう、なんで今になって……気づくんだろ」
「今だからですよ、ベクター、もう怒らないでいいし、かなしくもないんです、ね、撫でてあげましょうね」
 零の手はやさしい。ほしいものは、ほしいときに決して手に入らない。無花果は霞んだが、染みは残った。ばかなのはどっちだ。おれは羨むばかりで知らなかったのだ。夜に咲く紫陽花が、こんなにも光に融けて、恵みを吸いおさめて満たされているなんて。雨が降ったらもっといいと思う。雨が降って、土が流れて、紫陽花のした、ここにいる零のことをだれかが見つけてくれたら、それよりいい夜は他にないのになあ。

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