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砂の城

カイトとミザエル
ハンカチ・館・空蝉の語を入れる縛りでした



 なかったことにした、とつまりはそういうわけなのだった。彼らの生きるすべはそうして生まれたのだ、かなしむべき呪いのちからで。

 まるで手品だ。手に止まる鳩の姿がかぶせたハンカチのしたで消えゆくような。カイトはなんらの不調も見せず、ごくあたりまえの顔をして自身でつくりあげた生命なき感情に指示を出している。空は狭く、だが青い、慣れないネクタイの結びが曲がったミザエルも、いずれそこに溶け込んでゆかねばならなかった……幸福のためには。
(幸福のために?)
 いまふたりは公園でぼんやりと時間を過ごしながら、午後のあからさまな光をあびていた。それはミザエルには不躾にも思えたし、他の生命が感じるようにあたたかく、なつかしいような気もした。光から逃れた唯一の記憶が、彼をいまだ素直にさせなかった。それはたしかにやさしいものだとわかっているのに、闇に慣れたからだでは、おそろしさが先立つ。
 過去が重なればかさなるほど彼らの選択肢は絞られた。太陽のもとで目覚め月の光に睡る、それが一般に認められた幸福なのだった。彼らは犯した罪のありようで、月光を愛することをみずからに久しく禁じた獣にすぎない。
 カイトは陽の光に弟のぬくもりを思った。かつて彼はそれを真似た白んだ輝きを浴びつづけて戻るべき影をうしなった。だから闇のなかに身をゆだねることは安楽をもたらしたが、生まれながらに神を宿したかのごとくふるまった罰は受けねばならなかった。うすい膜に覆われた気がする、よく笑うやさしい弟を抱きしめても、なにもかも元に直った幸福の裏でときおりさびしくなる。
「だけどいつか、愛せるようになるのだろう……そうなったら溶けたこころは冷えて、いまとはちっとも変わった形になるのだ」
 彼らの思いは同じだったが、隠された嘆息は日を追って大きくなった。それは広い館にこだまするような虚しいひびきだった。このままでは苦しいだけだ。だからあたらしい心がめばえてゆくのを彼らはこうして待っていた。そうすればきっと、かなしくもないはずだった。いまの心が飴色になって、破れた背からは濡れて透けた翅がうつくしく開いてゆくのだろう。だが残された抜殻は? それもハンカチがひるがえったらゼロに戻るというのが彼らの答えだ。
 カイト、と呼んだ声はやけに弱かった。こんなはずではなかった。いつだって。
「いまがほんとうなのか?」
「そうさ」
「どうしたらいいだろう」
「生きたいようにするんだ……おれも、おまえも」
 迷うことはないのだ。めくった布きれのしたに敷かれた道は、はじめからひとつきりだった。ミザエルがくちびるを噛んだのをカイトは見た。そのあまやかな噛み跡も、うしなわれたまま終わってはかなしかったろうに、と思った。
 強く香ったくちなしの花もすでに飴色に風化しはじめている。そう、ミザエルがそうであったように……空蝉はなにも感じない。どんなに探したところで、そこには感情も生命も見あたらないのだ。回顧という行動を忘れさえすれば。
 過ぎたものほどうつくしいから、ここにあるものの価値までも過大にしてしまう。なおざりになるものを、惜しむのは浅ましい。
「そうさ、客観がすべてだ」
 さびしいことなど何もない……カイトは言った。おのれにも言い聞かせたはずの声は、街の狭い空にくるまれてかき消えた。あした、ふたりは再びそれぞれにふるまう。ごくあたりまえの顔をして、幸福のために。

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