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陸離の蛇

カイトとミザエル
なぞのフェチ感


 長い髪が好きだった。主のからだに絡みつくのが生き物を飼っているようだった。別荘のそばで見かけた蛇など、まるでぬるぬると動いて、それを思い出すらしい。あのときはただ初めて見た動く蛇に驚いていたがその記憶は夢にまで見るほど鮮明に焼きついた。蛇の夢を見た朝は決まって怠くて、カイトは起きるのに手間取るのだった。
 それから長いあいだ、クリスの銀色の髪がいちばん美しいと思っていた。蛇は嫉妬の生き物だと教えてくれたのはクリスだ。彼は物知りだったし、デュエルもずっと強かった。クリスにはどうしてもかなわなかった。いつしかクリスの蛇はカイト自身の羨望やそれに混じるわずかな嫉妬をうつす鏡の色を持った生き物にしか見えなくなってしまったけれども、それでもよく磨かれたその鏡は、何もうつさないときなら美しかった。やがてクリスとは友人の関係になって、蛇はそれきり、夢のなかにしか現れなくなってしまった。
 ふたたびうつくしい蛇の幻覚を見るようになったのは、ミザエルと接するようになってからだった。今度は金の蛇だ。果てしなく一面に広がるクリスの銀色とは違って、ミザエルの髪は奥深さがあった。たゆたえば光のあるところは真っ白に、翳るところは真っ黒く変わるのだった。それはまさしく、あのとき見た蛇のなめらかな鱗の揺動に似ていた。ミザエルを見ていてようやく思い出したことだが、クリスはもうひとつ、蛇は神の使いだとも言っていた。しばらく食物を摂取しなくても生きられるさま、そして死と再生とを思わせる脱皮が、文化によっては神聖視されるのだという。それなら口のない、転生のバリアンはどうだろう……ミザエルにそれとなく蛇の話をしたら、あれは龍の眷属だと言って嫌な顔を見せなかった。そんな話をしているあいだも、長い髪が揺れるたび肩にこぼれて、身をくねらせて光を食っているように見える。ずいぶん、魅入っていたらしい。カイト、と呼ばれてようやくはっとすると蛇はミザエルの首の後ろに隠れて消えてしまったのだった。

「いま手が離せないんだ、良ければそこに座って待っていてくれ」
「分かった」
 研究に定時はない。つまりソファで待つミザエルはカイトたちのやる気にすべてを左右されるので、カイトはデータの解析結果に没頭するふりをしながらすこしだけ申し訳ないと思っていた。しかしそれもやはり初めだけで、いつの間にやら本気で結果について論争する気でいるうちに、結局「ミザエルが待ちくたびれてるようだ」と苦笑するクリスの声に冷水を浴びせられるような気分になるのだった。
「すまない、遅くなってしまって」
 外はすっかり暗いにもかかわらず大人しく待っていたミザエルの座るソファにカイトは早足で近づいた。決まり悪さが半分占めていた。送ろう、などとそれなりに贖罪の言葉をかけるつもりだったのだが、返事があるはずもなく、ミザエルは眠ってしまっているようだ。背もたれに体をゆだね、肘掛けに寄りかかっては今にも倒れそうになっている。とっさに流れる髪に目が行った。その色は闇と光線の加減でプラチナからオリーブの階調に染まっていた。あ……と声をあげそうになって、カイトは艶めかしい蛇の幻影が現れるのに気がついた。ゆるゆると呼吸をくり返す、生きた蛇。ミザエルも、眠っている、それはたしかに生きているあかしなのだ。今になってこの存在し得ない蛇のために、カイトはミザエルが獲得した生の喜びにあらためて気がついたのだった。
「ミザエルがうつくしいのは、初めから人間として生まれたものよりもずっと、生きているということの実感や発見にあふれているからだ」とカイトは思った。おだやかで常に凪いだクリスの蛇は、鏡のように、それはまたうつくしかったが、ミザエルのそれとは違う。ミザエルの蛇は生を追求する蛇だ。たがいに絡み合って、有限とはなにかを悟り、存在を主張する。ともに求めることは許されるだろうか、生を。ただミザエルのあらわになった片側の首すじに顔をうずめる。ぼんやりと、揺蕩う蛇に誘われるように吸いこまれるさまは、今まで見てきた夢とおなじ官能があった。豊かに夜に流れるミザエルの髪を掬えばやわらかく、濡れたようにしっとりと冷たかった。夜の匂いだ、この懐かしさをカイトは憶えている。光を食らって生きる蛇は、月と星の匂いがする。
 蛇の姿がオリーブ色の影の中に遠ざかる。ミザエルの金色の睫毛が、こまやかに震えた。

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